Introduction
  • アニメーション映画『風が吹くとき』は、1986年に英国で制作され、翌1987年に日本でも劇場公開された。「スノーマン」や「さむがりやのサンタ」で知られる作家・イラストレーターのレイモンド・ブリッグズが、マンガのようなコマ割りスタイルで描いた同名の原作「風が吹くとき」(あすなろ書房刊)を、自らも長崎に住む親戚を原爆で亡くした日系アメリカ人のジミー・T・ムラカミ(『スノーマン』)が監督。音楽を元ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズが手掛け、主題歌「When the Wind Blows」をデヴィッド・ボウイが歌っている。さらに『戦場のメリークリスマス』(1983)で生まれたボウイとの友情から、日本語(吹替)版を大島渚監督が担当。また、主人公の夫婦ジムとヒルダの声を森繁久彌と加藤治子が吹き替えたことでも大きな話題を呼んだ一作だ。
  • 本作はしかし、ブリッグズの愛らしいキャラクターと温かみのあるタッチからは想像がつかないほど、核戦争の恐怖を強く訴える物語でもある。日本での初公開から37年を経た現在でも、SNSでは「当時鑑賞してトラウマになった」というファンも少なくない。ブリッグズはなぜ核の恐怖を描いたのか?原作が描かれた1982年当時は、米国とソ連(現ロシア)が数万発もの核兵器を保有し、軍拡競争を繰り広げた冷戦時代の真っ只中。本作で観客を唖然とさせるシーンの一つに、「3日以内に核戦争が起こる」というニュースを聞いたジムとヒルダ夫妻が、政府が発行する「PROTECT AND SURVIVE(守り抜く)」というガイドブックを参考に、自宅でドアとクッションを使った核シェルターを作る場面がある。今見ると、あまりにもナンセンスな内容だが、実は、この冊子は現実に存在し、1974年から80年まで英国政府がテレビCMやリーフレットなどの形で配布していたものである。こうした政府の姿勢に強い憤りを抱いたことも、ブリッグズが『風が吹くとき』を描いた理由の一つとなっている。
  • 図らずも、今年2024年はアカデミー賞7部門を受賞した『オッペンハイマー』も日本で公開された。1970年生まれのクリストファー・ノーラン監督は、オッペンハイマーという人物を映画の題材に選んだ理由を問われると「私が育った1980年代のイギリスは核兵器や核の拡散に対する恐怖感に包まれていたんです」と語り、子供時代に本作を観ていたとも話している。これはブリッグズが『風が吹くとき』を描いた時期とも重なり、いかに当時、多くの人々が核戦争の脅威を身近に感じていたかが分かる。国際情勢が大きく揺らぎ、再びリアリティを増す核戦争の脅威について警鐘を鳴らすべく、唯一の被爆国であるこの日本でも『風が吹くとき』が蘇る。
アニメーション映画『風が吹くとき』は、1986年に英国で制作され、翌1987年に日本でも劇場公開された。「スノーマン」や「さむがりやのサンタ」で知られる作家・イラストレーターのレイモンド・ブリッグズが、マンガのようなコマ割りスタイルで描いた同名の原作「風が吹くとき」(あすなろ書房刊)を、自らも長崎に住む親戚を原爆で亡くした日系アメリカ人のジミー・T・ムラカミ(『スノーマン』)が監督。音楽を元ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズが手掛け、主題歌「When the Wind Blows」をデヴィッド・ボウイが歌っている。さらに『戦場のメリークリスマス』(1983)で生まれたボウイとの友情から、日本語(吹替)版を大島渚監督が担当。また、主人公の夫婦ジムとヒルダの声を森繁久彌と加藤治子が吹き替えたことでも大きな話題を呼んだ一作だ。
本作はしかし、ブリッグズの愛らしいキャラクターと温かみのあるタッチからは想像がつかないほど、核戦争の恐怖を強く訴える物語でもある。日本での初公開から37年を経た現在でも、SNSでは「当時鑑賞してトラウマになった」というファンも少なくない。ブリッグズはなぜ核の恐怖を描いたのか?原作が描かれた1982年当時は、米国とソ連(現ロシア)が数万発もの核兵器を保有し、軍拡競争を繰り広げた冷戦時代の真っ只中。本作で観客を唖然とさせるシーンの一つに、「3日以内に核戦争が起こる」というニュースを聞いたジムとヒルダ夫妻が、政府が発行する「PROTECT AND SURVIVE(守り抜く)」というガイドブックを参考に、自宅でドアとクッションを使った核シェルターを作る場面がある。今見ると、あまりにもナンセンスな内容だが、実は、この冊子は現実に存在し、1974年から80年まで英国政府がテレビCMやリーフレットなどの形で配布していたものである。こうした政府の姿勢に強い憤りを抱いたことも、ブリッグズが『風が吹くとき』を描いた理由の一つとなっている。
図らずも、今年2024年はアカデミー賞7部門を受賞した『オッペンハイマー』も日本で公開された。1970年生まれのクリストファー・ノーラン監督は、オッペンハイマーという人物を映画の題材に選んだ理由を問われると「私が育った1980年代のイギリスは核兵器や核の拡散に対する恐怖感に包まれていたんです」と語り、子供時代に本作を観ていたとも話している。これはブリッグズが『風が吹くとき』を描いた時期とも重なり、いかに当時、多くの人々が核戦争の脅威を身近に感じていたかが分かる。国際情勢が大きく揺らぎ、再びリアリティを増す核戦争の脅威について警鐘を鳴らすべく、唯一の被爆国であるこの日本でも『風が吹くとき』が蘇る。
Story
イギリスの片田舎で暮らすジムとヒルダの平凡な夫婦。二度の世界大戦をくぐり抜け、子供を育てあげ今は老境に差し掛かった二人。ある日ラジオから、新たな世界戦争が起こり核爆弾が落ちてくる、という知らせを聞く。ジムは政府のパンフレットに従ってシェルターを作り始める。先の戦争体験が去来し、二人は他愛のない愚痴を交わしながら備える…。そして、その時はやってきた。爆弾が炸裂し、凄まじい熱と風が吹きすさぶ。すべてが瓦礫と化した中で、生き延びた二人は再び政府の教えにしたがってシェルターでの生活を始めるのだが…。
Cast
森繁久彌ジム役
1913年、大阪府出身。早稲田大学演劇研究部で活躍するかたわら日劇舞台課に勤務。大学中退後の1939年、NHKアナウンサーとして満州に赴任し、終戦を迎える。1947年映画デビュー。以降、映画・ラジオ・テレビに多数出演し、喜劇俳優としての人気を不動のものにした。1950年代以降、映画“社長シリーズ”“駅前シリーズ”で一世を風靡。舞台でも1967年より「屋根の上のヴァイオリン弾き」を20年、900回上演。2009年、96歳で死去。翌年にはその多彩な功績が認められ、国民栄誉賞が贈られた。
加藤治子ヒルダ役
1922年、東京都出身。1937年に松竹少女歌劇団に入団。1939年に東宝映画に移り『花つみ日記』でスクリーン・デビュー。その後、活躍の場を舞台に広げ、文学座を経て1963年、現代演劇協会「雲」の創立に参加。60年代の人気ホームドラマ「七人の孫」以降、穏やかな中に強さを秘めた昭和の母親役で人気を集めた。代表作は向田邦子のドラマ「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」、映画『花いちもんめ』『マルサの女』など。『魔女の宅急便』、『ハウルの動く城』では声優を務めた。舞台「こんにちは、母さん」で紀伊國屋演劇賞受賞、勲4等宝冠章を受章。2015年、92歳で死去。
Staff
原作・脚本
レイモンド・ブリッグズ
1934年1月18日、ロンドン・ウィンブルドン生まれ。英国で最も愛される作家、イラストレーターのひとり。文章のない子供向けの絵本「スノーマン」で知られ、同作は 1982年にアニメ化されクリスマスの度にTV放映され続ける。ウィンブルドン美術学校、ロンドン大学スレイド校で美術を学び、プロのイラストレーターとして初めて挿絵を担当した児童書が1958年に出版された。1961年から1986年までブライトン美術学校で教鞭をとる。1966年挿絵を担当した「マザーグース」が英国図書館協会のケイト・グリーナウェイ賞を受賞。1973年の「さむがりやのサンタ」で絵本作家デビューし、ケイト・グリーナウェイ賞を再び受賞した。1975年に「サンタのたのしいなつやすみ」、1977年に「いたずらボギーのファンガスくん」を発表。1978年に文章がなく、色鉛筆だけで描かれた絵本「スノーマン」を出版。その後も、漫画のようなコマ割りスタイルの「ジェントルマンジム」(1980)、「風が吹くとき」(1982)を発表。「風が吹くとき」はたちまち50万部を超えるベストセラーとなり、83年にはラジオドラマ、続いて舞台劇となって大きな反響を呼んだ。英国図書館協会設立50周年(1955年から2005年)には、「さむがりやのサンタ」が、英国の絵本ベスト10に選ばれている。1993年に英国ブックアワードによって、子供の本の最優秀作家賞に選ばれた他、1999年には「エセルとアーネスト」が最優秀イラストブックオブザイヤー賞を獲得した。2016年文学への貢献に対して名高い生涯功労賞を受賞。女王から大英帝国勲章を授与された。2022年8月9日、88歳で死去。
監督
ジミー・T・ムラカミ
日系アメリカ人2世として、1933年カリフォルニアに生まれる。第二次世界大戦中8歳から4年間日系人強制収容所に収容される。長崎の原爆で親戚を失ってもいる。収容所で見たディズニーの『白雪姫』をきっかけに、アニメーションに興味を持つ。ロサンゼルスのシュイナード・アート・インスティテュートで学んだ後、1956年にUPAバーバンク・スタジオに入社。翌年、ニューヨークのピントフ・スタジオに移り、アカデミー賞にノミネートされた『The Violinist』を手がけた。東映動画(現:東映アニメーション)で1年間働いたのち、1960年にロンドンに移り、TVカートゥーンズのプロデューサー兼ディレクターとして『虫』(英国アカデミー賞ノミネート)などの短編を監督した。1965年にロサンゼルスに戻り、フレッド・ウルフとともに、ムラカミ・ウルフを設立。監督作『呼吸』でアヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリを受賞し、アカデミー賞候補となった『魔法の梨木』ではプロデューサーを務めた。1970年、実写の長編映画『レッド・バロン』のアソシエイト・プロデューサー兼空撮監督としてアイルランド・ダブリンに滞在し、そこで出会った女性と結婚してアイルランドに活動の拠点を定める。1980年にはロサンゼルスで、プロデューサーのロジャー・コーマンのために、『七人の侍』の宇宙版である長編実写映画『宇宙の7人』を監督。1982年、TVCロンドンで、レイモンド・ブリッグズの原作を基にしたアニメーション『スノーマン』の総監督を務め、英国アカデミー賞を受賞、アカデミー賞にもノミネートされた。1986年には、『風が吹くとき』を脚色・監督し、1987年のアヌシー国際アニメーション映画祭で長編グランプリを受賞した。1989年、ムラカミ・ウルフの支社をダブリンに設立。長寿テレビシリーズ「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」を制作。このスタジオには100人以上のアーティストが在籍していた。ムラカミはアイルランドのダン・レアリー美術学校(IADT)やバリファーモット・カレッジで講師を務めるなどアニメ業界の発展に貢献した。ムラカミの推薦によりカートゥーン・サルーンの創設者トム・ムーアらは、米アカデミー賞の会員となり、現在までに5度のノミネートを獲得。晩年は好きだった絵画に戻り、油絵や水彩画、具象画や風景画を描いていた。2014年2月16日、ダブリンにて80歳で死去。2013年にはディングル国際映画祭に、アニメーション業界の貢献者に与えられる「ムラカミ賞」が設けられ、その第1回受賞者に選ばれた。
主題歌
デヴィッド・ボウイ
1947年ロンドン南部ブリクストン生まれ。本国イギリスではビートルズ、ローリング・ストーンズ、クイーンらと並んで20世紀のイギリスを代表するロック・スターのひとりである。俳優としても長いキャリアを持つ。67年にアルバム・デビュー。69年の「スペイス・オディティ」のヒットを経て、72年の「ジギー・スターダスト」で“グラム・ロックの旗手”として活躍。以降、「フェイム」やブライアン・イーノとのコラボレーションで制作された “ベルリン三部作”、「レッツ・ダンス」などで強烈な印象を残す。映画『戦場のメリークリスマス』出演も大きな話題となった。2004年に動脈瘤による体調不良で活動を休止。約9年もの間、音楽シーンから遠ざかっていたが、2013年に最新アルバム「ザ・ネクスト・デイ」で電撃復活を果たした。2016年69歳の誕生日に「★」(ブラックスター)を発表して人気再燃の矢先、同年1月10日69歳で死去。
音楽
ロジャー・ウォーターズ
1944年9月6日、英国ケンブリッジ生まれ。67年にピンク・フロイドのベーシストとしてデビュー。シド・バレット脱退後はバンドの中核メンバーとして活躍し、「狂気」「炎~あなたがここにいてほしい~」「ザ・ウォール」などの名作をリリース。プログレ・ムーヴメントの立役者となった。85年にピンク・フロイドを脱退後は、ソロ活動を積極的に行なっている。ソロ作には「ヒッチハイクの賛否両論」や「RADIO K.A.O.S.」などがある。複雑な構成をもつコンセプト・アルバムを作る完璧主義者として知られる。
製作
ジョン・コーツ
1927年英国生まれ。コーツは第二次世界大戦に陸軍将校として従軍し、アジアで映画配給に携わった後イギリスに戻り、アニメーションの制作を始めた。『スノーマン』は彼の初期の作品のひとつであり、長く愛される作品。1983年にアカデミー賞にノミネートされている。コーツは1968年にビートルズのアニメ『イエロー・サブマリン』を手掛けたほか、レイモンド・ブリッグズ原作の『風が吹くとき』『ファーザー・クリスマス』、ビアトリクス・ポターの物語を基にしたTVシリーズ「ピーターラビットと仲間たちの世界」など数多くの作品を製作。2012年9月16日84歳で死去。
日本語吹替演出
大島渚
1932年3月31日京都生まれ。1954年、京都大学法学部卒業。松竹大船撮影所入社。1959年、初監督作品『愛と希望の街』を発表。翌年『青春残酷物語』で第1回日本映画監督協会新人賞を受賞、日本ヌーベルバーグの旗手とうたわれるが、『日本の夜と霧』の上映中止をめぐって松竹を退社。以後独立プロ創造社を主宰、『白昼の通り魔』『日本春歌考』『絞死刑』『儀式』などを発表。1968年以降全作品が海外で公開される。1975年、大島渚プロダクションを創立、日仏合作映画『愛のコリーダ』を製作、翌年のカンヌ国際映画祭で絶賛をあび、シカゴ映画祭特別賞、英国アカデミー賞を受賞。1978年、『愛の亡霊』でカンヌ国際映画祭最優秀監督賞を受賞。その後、日英ニュージーランド合作『戦場のメリークリスマス』、フランス映画『マックス、モン・アムール』と国際的映画製作を展開。1996年2月脳出血のため倒れるも、その後1999年『御法度』を完成させた。2000年、文部大臣芸術選奨、紫綬褒章を受章。2001年、毎日芸術賞、芸術文化勲章コマンドゥール(フランス)を受賞。2013年1月15日80歳で死去。
Sound Track
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解説・一部歌詞・対訳付/1986年作品
音楽監督:ロジャー・ウォーターズ/主題歌:デヴィッド・ボウイ
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Comment
かつて観たこの映画を、いまこの現実を前にふたたび見返したら、
その切実さと美しさと恐ろしさがより増していた。
それは、哀しくもある。
でもだからこそ、いまこの映画が必要なのだ、きっと。
小林エリカ
(作家、アーティスト)
ふたつのことを思い出す。
月刊『アニメージュ』で大特集したこと。
原発の記事も書き、当時としては大冒険だったが、その号は3日で完売した。
もうひとつは、英国版の声優ジョン・ミルズのこと。
僕が少年時代から大好きなヘイリー・ミルズのお父さんだった。
鈴木敏夫
(スタジオジブリ・プロデューサー)
アニメーション映画『風が吹くとき』を何年も前に友人の映画評論家に勧められて初めて観た時ものすごくショックを受けたのを覚えている。
私自身の作品作りに大きな影響を与えた『スノーマン』の原作者であるレイモンド・ブリッグズ原作の漫画がアニメーション映画化したもので、とにかくキャラクターがチャーミング。コマ撮りの背景と作画のキャラクターのハイブリッドという当時では珍しい手法であり、まずは映像だけで引き込まれた。
でもそんな素敵な絵とは違う意味で、私はショックを受けた。核の恐ろしさ、人間の愚かさ、そして「無知の非情さ」が淡々と描かれる、恐ろしい映画だった。周りが焼け野原となり、被爆した夫婦に確実に近づく死を目の前にしても「大丈夫。すぐに助けが来てくれるから」と現実を見れない老夫婦は、まるで今の世に台頭する過激思想の権力者たちを前に、「戦争なんかおこらないから大丈夫」と無関心でい続ける私たちと重なる。
でも、だからこそ、今たくさんの人たちに観てもらいたい作品。
堤大介
(トンコハウス代表、アニメーション映画監督)
敬称略・五十音順